ウエストランド井口さんのサッカー歴をまとめました。
井口さんは小学校から大学までサッカーをやっています。
基本補欠でしたが、それが今の井口さんの悪口漫才に繋がっていました!笑
ウエストランド井口のサッカー歴まとめ!
サッカー小学校から大学までね、やってたんですけど
ウエストランドの井口さんは小学校から大学までサッカーをやり続けたサッカー好きです。
サッカー歴をまとめるとこんな感じです。
小学校:鶴山JSCで補欠
中学校:地元の公立中で補欠
高校:津山商業高校でレギュラー(弱小高のため)
大学:千葉商科大学の体育会系部活で補欠
本人も言ってますが、基本技術が高いわけではなく補欠です笑
しかしエピソード自体はめちゃめちゃ面白い。
24点入れられたエピソードは圧巻ですw
ウエストランド井口のサッカー歴:小学校
小学校のときのウエストランド井口さんの写真がコチラ!
小学生のとき!
— ウエストランド井口 (@westiguchi) June 13, 2017
鶴山JSC! pic.twitter.com/HGnsVzzeGW
顔は見えませんが可愛いw
地元のサッカークラブでプレー
ウエストランド井口さんは地元のサッカークラブでサッカーを始めます。
小学校のとき、僕、岡山県の津山市ってところが地元なんですけど、その地元にあるサッカークラブに入ってましたね
スポーツ少年団ではなくクラブチームでやっていたというガチっぷり!
鶴山JSCというところでやっていました。
雰囲気は楽しくやっていたそう
鶴山JSCはどちらかというと楽しくサッカーみんなで楽しもうみたいな
ポジションは左ウィング
ちなみに井口さんはサウスポーだったため、ポジションは左ウィングだったそうです。
入った瞬間僕は左ききだったんで、左ウイングをやれということで、4−2−4みたいな大昔のブラジルみたいなシステムだったんですけど
前線のポジションをやりたかったそうなのでラッキーでしたね。
井口は基本補欠
常にレギュラー、というわけではなく、補欠も経験していたそうです。
試合には出たり出なかったりだった
そのままの流れで中学校もサッカーを続けることになります。
ウエストランド井口のサッカー歴:中学校
ウエストランド井口さんは地元の津山西中学校でサッカーを続けます。
ともに岡山県津山市の出身で、津山市立津山西中学校
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
部員が100人以上!
Jリーグ開幕のブームのあおりをもろに受けたそうで、部員が100人以上もいたそうです!!
中学校普通の地元の公立の中学校なんですけど、部員がめちゃめちゃいて、今じゃなかなか信じられないと思うんですけど、1年生から3年生までで100人以上いたんですよ
そのせいで、上級生が引退するまではボールすら触れなかったというスポ根ぶり。
マジで3年生が引退するまではボール1回も触らせてもらえないっていう、ずーーっと走ってるだけというような部活でしたね
井口はやっぱり補欠
しかしついに上級生が引退!井口時代の幕開けだと思ったのですが、、
僕らの代になったときですね、全然補欠だったんですけど
補欠だったそうです笑
当時、地元にあったサッカークラブでの経験者のライバルが多かったため、レギュラー争いが熾烈だったそう。
最後にはベンチ入りの20人中18番目というギリギリを彷徨っていたそうです。
僕はもう補欠でしたから、そんとき補欠のときの気持ちを学んだというか、すごい嫌ですし
その時の気持ちを「嫌だった」と語る井口さん。
この反骨心が今の芸風に繋がっています。
30試合負けなしの超強豪
上手いメンバーが多かったため、井口さんのいた中学校は県大会の決勝まで勝ち進みます。
ちょうど最初の新人戦みたいな大会で僕らの代になって県大会の決勝まで行ったんですよ。決勝で残念ながら負けちゃったんですけど、これ快挙中の快挙という感じでしたね
岡山県って当時、県の南の岡山市とか倉敷市とかの中学校の方がスポーツが盛んだったそう。
井口さんのいた県の北の中学校とかは県大会にいくと1回戦で負けちゃうってことがほとんどだったそうです!
当時の歴史を塗り替えた強豪中学校だったんですね。
僕らの代のチームになってから30試合くらい負けなかったんですよね
サッカークラブ加入者でも当時は試合に出れたというルールが功を奏して勝ち進んだということでした。
ポジションはフォワード
井口さんの中学校のときのポジションはフォワードでした。
一応ポジションはフォワードをやってましたね
基本攻めなんですね。
ウエストランド井口のサッカー歴:高校
ウエストランド井口さんは津山商業高校に進学。
「ウエストランド」の井口浩之さん(32)と河本太さん(31)が14日、母校の県立津山商業高校(同市山北)で記念講演を行い
https://www.sankei.com/article/20150516-KUV5LM4DZ5KT3NUBC3LVFBWJ4Q/
ここでもサッカーを選びます。
超弱小の高校でプレー
井口さんいわく、当時の津山商業高校は超弱小高校だったそうで笑
高校はこれネタ的にも話してるんですけど、超弱小高校だったんで、1年生から試合に経験者ということだけで出れたりしたんですけど
今まで強豪の中学校にいたこともあり、試合に出れる喜びは大きかったでしょう。
高校が弱すぎるせいで、周りの高校がどこも練習試合をやってくれないという不遇な時代でした。
そのため、公式戦でもボコボコにされていたそうです。
練習試合がないんですよ、どこもやってくれないんで、大会のときくらい試合がないみたいな状況なんで、非常に恵まれてはいないんですけど。その大会も1回戦で8対0とか10対0とか13対0とか、毎回そんなんで負けるくらいの超弱小だったんすね
強豪時代とは変わって試合にでれるようになったウエストランド井口さん。
しかし本人の心境的には微妙だったそう。
中学校のとき強くて試合出られなかったんで、高校は弱くても試合に出れるところが良いなって思ってたんですけど、それはそれでちょっとやりがいないなって思っちゃうんで、難しいところではあるんですが
奇跡的に公式戦で勝利
井口さんは経験者ということもあってか副キャプテンをしたそう!
しかも最初の新人戦で逆転勝利に貢献します。
僕らの代になって僕は一応副キャプテンをやってたんですけど、最初の高校の新人戦みたいな大会で1回戦で前半に2点入れられたんですけど、前半のうちに僕のアシストで1点返しまして、後半追いついて、延長戦になって、最後僕が決めて、2対3で逆転勝ちをするというね
井口さんは当時の喜びを次のように振り返ります。
高校としても公式戦何年間ぶりの勝利ということで、奇跡的に勝ったんですよ覚えてます今でも。
ここまでだったらただの武勇伝。
しかし井口さんが武勇伝で終わるわけはありません笑
強豪にボコボコにされるw
勝ち進んだことによってですね、岡山県屈指の強豪高校作陽高校とあたることになって、24点入れられるという、サッカーできいたことないスコアで敗れるということが起きましたね
24点www
そんなスコアは見たことないですね笑
当時の動画とか探しましたが見つからず。
見つけた人はぜひ教えてくださいね笑
ウエストランド井口のサッカー歴:大学
井口さんは千葉商科大学に進学。
「井口はどこの大学行ってたの?」
https://ameblo.jp/atommae/entry-12336256605.html
その瞬間井口くんはものすごく言いたくなさそうな感じで
「……千葉商科大学」
大学ではどのようにサッカーに取り組んでいたんでしょうか。
ガチな体育会に所属
井口さんはガチな体育会系でサッカーをやってました!凄い!
大学もサークルとかではなく部活でやってたんですよ体育会系の部活でね。これはある意味僕の誇りみたいなところはあるんですけど
当時は本当にしんどかったと話しています笑
毎日練習ありますし、リーグ戦あって合宿あってみたいな、とにかくしんどいんですけど
ちなみに入った記憶はないそうですww
なんで入ったかと言われたら、あんま記憶ないんですけど、いつの間に入ってて
一部リーグ昇格
井口さんの大学サッカー部は当時二部リーグだったそうです。
そんときは県の二部リーグ所属みたいな感じだったんですよ千葉県なんですけど
しかしガチで練習をしていたこともあり、二部リーグを無敗で優勝します!
秋のリーグ戦があるんですけど、二部リーグを無敗で優勝しまして、その年に一部に昇格すると。
一部リーグに昇格した試合にも井口さんは出場していたそうです。
一部に昇格した瞬間、その試合も途中からピッチに立ってたんで試合ときどき1年生ながら出させてもらったりもしてたんですけど
補欠だけど副キャプテン
井口さんは大学時代補欠にも関わらず副キャプテンだったそう笑
2年生になっても一部で残留して、3年生になって僕はそこでもねめちゃめちゃ補欠だったんですけど、持ち前の真面目さとですね、ベンチでいっぱいしゃべってるということもあってですね、副キャプテンをやってまして
井口さんといえば「いっぱいしゃべる」のが良さですもんね笑
井口さん副キャプテン時代は、1番成績が良かったそう!
僕らの代が1番成績がよくて、一部で4位くらいになったんで、もうちょっとで関東リーグへのプレーオフに行けるみたいなとこまで行ってました。一生懸命やってましたね。
井口軍団を結成
井口さんが面白いのはここからです。
井口さんは補欠メンバーを中心に「井口軍団」を結成しています笑
大学では補欠になったとか試合に絡めないとかでフラストレーションが溜まったりとかね、「なんで?」って人もいますし、練習も厳しいっていう中で、なんかそういう後輩とか同級生とかもいたんですけど、そういう人たちを集めてですね「井口軍団」というのを作って
それは厳しい練習を乗り切るためだったと話す井口さん。
ただ、最終的にはキャプテンなどのレギュラーメンバーも井口軍団に合流する「逆転現象」が起きていたそうですw
ただたまに集まって愚痴をいったりですね、みんなで仲良くというか、なんとか厳しい練習とかね、そういうのを乗り越えようという風にやってたんですけど
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